▼論子さんの家の台所、論子さんがご飯の支度をしています。でも、いつもとは何か様子が違うようですが・・・?

路夫「わぁ!お母さん。今日はすごいごちそうだね!何かあるの?」

論子「今日はお祖母ちゃんの誕生日なのよ。この前話したでしょう?」

路夫「そうだった。すっかり忘れてた。」

  「この散らし寿司。おいしそうだねぇ」

論子「このお寿司はお母さんがこの家に来た時にお祖母ちゃんが教えてくれたものよ。」「それから路夫が好きな『おでん』も、学の好きな『炊き込みご飯』もみんなお祖母ちゃんに教えてもらったのよ。」

路夫「お祖母ちゃんは幾つになるの?」

論子「確か七十歳かな。」

  「もうそんなお年になるのね。早いものね。」

路夫「へぇ。まだ元気でちっともそんな年だって思えないね。」

論子「そうね。趣味も多いし、近くのお友達ともよく出かけてらっしゃるしね。」

路夫「でもさ、よその家でお祖母ちゃんの誕生会をしたってあんまり聞かないな。」

論子「あら、そうなの?」

路夫「誕生会って言ったら、やっぱり子供のでしょ。」

論子「それは違うわ。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが生まれてなければ、お父さんが生まれないから、あなただってここに居ない事になるのよ。」

  「でも、子どもの誕生日と違って、大人の誕生日はうれしいけど、少し寂しい気持ちになるわね。」

路夫「なんで?」

論子「だって、人はずっと生きていられるわけじゃないでしょ。お別れする日が近づくと思うとね。」

路夫「そんなの大丈夫だよ。お祖父ちゃんもお祖母ちゃんもどこも悪いところが無いし、元気だもの。まだまだずーっと先のことだよ。」

論子「そうね。平均寿命もどんどん延びているし、まだまだ先よね。」

「さぁ、じゃあ一段と元気になってもらう為にあとステーキでも焼こうかしら」

路夫「ステーキ!やったぁ」

さてこんな時、論語では何て言うでしょうか

 

『父母の年は、知らざる可からざるなり。

 一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る』

 

《伊與田先生訳》

 父母の年は、忘れてはならない。一方では達者で長生きしていることを喜び,一方では

老い先の短いことを心配する

 

《解説》

 お祖父ちゃん、お祖母ちゃんの『年』を知っていますか?知らない子の方が多いかな?

君が今、この世界にいるのは、お父さん、お母さんが居るからだよね。同じようにお父さんたちの両親がお祖父ちゃんたちというわけだから、君にはとても関りのある大切な人たちです。

 世界には何億という人間がいて、その中で自分と同じDNAを持った人が家族、ご先祖様です。これはずっと途切れずにつながって

いる一本の糸のようなものです。

 君の次にも、その次にも同じ糸がつながっていくなんて、なんかすごくないですか?

 お祖父ちゃん、お祖母ちゃんは、一生をかけて今の時代を作ってくれた人たちです。

そのお陰で、私たちは何不自由無く暮らしているわけです。

頑張って生きてもらって、君たちとこの世界に居る時間を多く過ごしてもらえるように、みんなで大切にしなければいけないよね。