▼路夫君の部屋から何やら話し声が聞こえています。路夫君と友則君、それにお兄ちゃんの学君の声も聞こえるようです。

路夫「曽根君が言ってるのならともかくさぁ、葉山君が言ってるってどうなのかなぁ」

友則「でも、葉山君の意見も良い所があると思うよ。」

路夫「だってさ、確かに葉山君の意見はいつもかっこいいし、なんか関心してしまうんだけど。僕、いまいち信じられない気がするんだよ。」

学 「何を二人で真剣に話してるの?」

路夫「今日の学級会でさ、今学期のクラス目標を立てようって事になってね。」

友則「それで、葉山君がこの頃ちゃんと『おはよう』って言う人が少なくなってきているから当番を決めて、玄関で『あいさつ運動』をしたらどうかって言ってね」

学 「うん。それはいい意見だね。」

路夫「でもさ、葉山君って結局いつも『言うだけ』なんだよ。」

学 「確かに、話すことが上手ですごいなと感心しても、それを実行しなかったり、『言葉上手』の人はいると思うよ。だから、言葉だけでその人を信じてしまうのは違うとは思うけど、せっかくの良い意見まで聞かないというのはどうかな。」

路夫「でもさ、きっとまたと中で投げ出してやらなくなってさ、僕たちだけですることになるかもしれないんだよ!」

学 「それでもいいじゃないか。正しい意見は意見として取り上げなきゃ。」

友則「僕、『あいさつ運動』はとってもいい事だと思うよ。やろうよ、路夫君。」

路夫「わかったよ。明日の朝の会で賛成することにする。」

さてこんな時、論語では何ていうでしょうか。

 

 

『君子は言を以て人を擧げず。人を以て言を廢せず』       

 

 

《伊與田先生訳》

 君子は言うことがよいというだけでは人を挙げ用いないが、その人の言うよい言葉はすてない

 

 

《解説》

  話す事がとても得意で、感心してしまう人がいるものですよね。よい意見を言われると何だかその意見を言っている人まで立派に思えてきたりしませんか。

 でも、話す事が正しいのと、話をしている本人が正しいのはちょっと違います。もしかしたら、その人は何かの本を読んだり、誰かの意見をまねて言っているだけかもしれません。話を聞いて、簡単に『すごい人だ』と思ってしまうのは間違いのもとです。

 だからと言ってその人の意見まで『違う』と言ってしまうのはどうでしょう。誰が言っても『良い言葉』や『良い意見』はやっぱり『良い』のですから、どんな人の意見も素直に聞く耳をもつことが大切です。