休日の朝です。路夫君が玄関でくつをはきながら、ブツブツ言ってなかなか外へ行こうとしません。路夫君は仲間と通学路のゴミひろいをしているのですが・・・・。

論子「路夫どうしたの?早く行かないとみんな待ってるんじゃない?」

路夫「今、行くとこ。でももうみんなじゃないよ。」

論子「どうして?始めた時は何人かいたでしよ?」

路夫「だけどみんなやめちゃってさ、もう友君と二人なんだよ。だから今日は友君も来ないかもしれない。」

論子「あら。みんなどうしちゃったの?」

路夫「だって一所懸命空き缶やゴミを拾ってるのにさ、大人の人とかが車から目の前へポイって棄ててっちゃったりするんだよ。何回もそんな事があってさ、誰も僕たちの事ほめてもくれないし、だからみんないやになってきたんじゃないかな。」

論子「そんな事があったの。ちょっと残念ね。で、路夫も行かないことにするの?」

路夫「行くよ!僕、別にほめられたくって始めたわけじゃないもの。でも・・何んかなぁ」

三十分ほどして路夫君が帰って来ました。何だか出かけた時と様子が違います。

路夫「ただいま!!お母さん聞いて!!」

論子「お帰りなさい。何か往く時と全然違うわね。何かあったの?」

路夫「それがさ、やめてったみんなが戻ってきたんだよ。来なくなってからも僕たちの事気になって見てたんだって。そしたら、友君と僕の二人がずっと続けているのを見てね。やっぱり続けようと思ったんだって!それにね。いつも犬の散歩をしているおばさんが、『いつも頑張っていて偉いね。感心して見ているのよ。』って言ってくれてね。」

論子「そう。良かったわね。続けてやっていて。もう、路夫は一人じゃないわね。仲間が戻って来てくれたんだし。」

路夫「うん!友君とも言ってたんだ。ちゃんと見ていてくれる人っているんだなって。」

論子「あら。お母さんはずっと見てたわよ。」

さてこんな時、論語では何て言うでしょうか?

 

『德は孤ならず必ず鄰有り。』

(仮名論語P46 里仁第四)

 

 

 

解説

 せっかくよい事をしているのにみんなちっとも分かってくれない!と感じた事はありませんか。

 それは、心の中で誰かに『ほめてもらいたい』とか、『認めてもらいたい』とか思っているからです。心から本当によい事をしようと思ったら、自分自身の心が満たされているのでほめてもらえなくても、認めてもらえなくても、気になりません。

 ところが、不思議なことに、そうしてコツコツと正しい行いを続けていると、その姿を知ってくれる人があらわれます。そして、同じ考えを持つ人が仲間になってくれます。

 正しい考えで行動している人は決して一人ぼっちになることはありません。