お兄ちゃんの学君の部屋からめずらしくおじいさんの真一さんの声が聞こえてきます。

路夫「おじいちゃん、お兄ちゃんの部屋でなにしてるの?」

真一「路夫か。あーまたまけちゃったよ。学、もう一回だ!はて、どこで間違ったんだろう?」

学 「ここの駒がぎゃくに邪魔になって、身動きが取れなくなったんじゃない?」

真一「そうか。うん。そうゆうことだ。」

路夫「えー?おじいちゃん、お兄ちゃんに将棋習ってるの?確かお兄ちゃんに将棋を教えたのおじいちゃんでしょ?」

真一「そうなんだけど、近頃学ぶがめっきり腕を上げてね。今度老人会の将棋大会があってね。そこでどうしても勝ちたい人がいるんだ。」

路夫「でもさ、お兄ちゃんは孫でしょ?」

真一「将棋のルールや初歩を教えたのは確かにおじいちゃんだけど、今ははるかに学の方が上手いからね。中学に入った頃からは全く勝てなくなったよ。」

路夫「でも、ずっと年下の人に教えてもらうのってどうなの?僕、仁実になんか習うなんて悔しくて絶対いやだ。」

真一「路夫、それは違うよ。どんなことでも自分より上手な人や良く知っている人はいるもんさ。そして、それが自分よりずっと年下だったりする場合も多いものだよ。自分のほうが年上だとか、えらいとか思って、せっかく知ることが出来るチャンスをなくす方がずっともったいないと思わないかい?」

路夫 「そうか。じゃあ僕も教えてあげるよ。近頃積み木崩しがすっごく上手くなってさぁ」

真一「今度老人会で大会があった時にぜひおいするよ。」

路夫「まかしといて!」

さてこんな時論語ではなんていうでしょうか。

下問を恥じず。  

 公冶長第五 一五

 

解説

 自分の方が年上だったり、立場が上だったりすると、知らないことを人に聞くのがちょっと残念な気になる事はないですか?

 先生やコーチなどの年上や目上の人に習うのはいいとしても、それが自分より年下だったらどうですか?ちょっと『かっこ悪い』と恥ずかしく思うかな。

 いいリーダーになろうとする人は、自分が知らないことや足りない事を恥ずかしく思うことはありません。むしろ知らないままにしておくことの方が恥ずかしいと考えています。

 だからもし、その知識ややり方を知っている人が年下でも、ちゃんと教えてもらうことを惜しんだり、恥ずかしがったりしません。

ものごとを正しく知るという事に歳や立場の上下は関係ありません。