夏休み、自由研究の宿題に路夫君は木で貯金箱を作っています。貯金箱は何年か前に学お兄ちゃんが作って工作展で賞を取ったもの。先生はもちろん真一おじいちゃんです。

ところが・・・・
路夫「おじいちゃん。宿題の貯金箱だけどさぁ。ちょっと違うものにしようと思うんだけど」
真一「どうしてだい?」
路夫「なんか、上手に出来なくてさぁ。思っていたのと全然違うのが出来てきてるんだもの。」
真一「どれ、ちょっと見せてごらん。家の形にして上の屋根の部分からお金を入れる計画だったよな?」
路夫「そうなんだけど、この穴のところがどうしても上手にできなくて、こんなになっちゃった。」
真一「ああ、大きく開きすぎたのか。材料ならまだあるから、もう一度作り直したらどうだい?」
路夫「もう一度って・・・これ二つ目だよ」
真一「そうか、二つ目だったか。どれ、前のやつを見せてごらん。」

路夫「ほら、これ。やっぱり上手にできていないでしょう。僕はさ、お兄ちゃんと違って、不器用であんまり工作が得意じゃないのに、こんなもの作ろうと思ったのが間違いだったんだよ。そもそも、僕には才能がないんだよ。だからやってもかなうわけないんだ。」
真一「そうか。そう本気で思っているならやめたらいいよ。だけど路夫、始めから上手にできる人なんてどこにもいないよ。お兄ちゃんだって何度もやり直したんだ。それよりも、『自分はだめだ』と言ってしまったら、そこから先には行けないもんだ。宿題は仁実のように折り紙でも折っていくかい?」
路夫「・・・・・もう一回頑張ってみる。おじいちゃんもう一度教えて!」
真一「そうか、わかった。路夫があきらめないならおじいちゃん何度でも教えてあげるよ。さぁ新しい材料を持っておいで」
路夫「うん!」
さてこんな時、論語では何て言うでしょうか。 

力足らざる者は中道にして廢す。今、女は畫れり。

雍也第六(仮名論語)七十一頁  

《伊與田先生 訳》
力が足りないかどうかは、力の限り努力してみなければ分からない。
力の足りない者は中途でたおれるまでのことだ。

 

《解説》
 勉強やスポーツや工作など、ちょっとやってみて出来なかった時『自分には向いてないから』とか『そもそも才能が無いから』とか思って、途中からやる気が無くなってしまう事ありませんか?
 それよりもやってもみないで、始めから『できない』と言って、どうせ自分には力がないからと、言い訳したりしていませんか?
 『やろう』『やりたい』と思ったことを途中で投げ出してしまったり、最初から『できない』と思ってしまう事はとても残念なことです。
 本当に、ほんとうに最後までがんばったら、たとえそれが思ったとおりの結果でなくても頑張った事が残ります。
 それに新しいことはやってみなくちゃわからない。出来ないとあきらめてしまう事は、その先へ行く可能性を自分で失くしてしまうことです。