論子さんが、庭で植木に水をまいていると、路夫君と友達の友則君が何か話しながら帰ってきました。学校で、何か問題があったようです。

路夫「そうがっかりするなよ。」

友則「だって、路君と離れただけでも残念なのにさ、よりによって陽君のとなりだなんて・・・。」

論子「どうしたの?友君。何か落ち込んでるわね。」

路夫「実はさ、今日学校で席替えがあってね。いろんな人と友だちになるためにって先生が言って、あみだくじで決めたんだけど、友君、陽君のとなりになったんだ。」

論子「あら、陽君なの。元気でいいじゃない。」

友則「おばさん、のんきな事言わないでよ。陽君はさ、宿題忘れたら『見せろ』って言うし、しょっちゅう教科書だって忘れるからいっしよに見せてあげなきゃいけないし。それから・・ともかく色々大変なんだよ。」

論子「あらそうなの。」

友則「この間までは曽根君の横だったから、分からない所は教えてもらったり、体育の時なんかも着替えの間待ってくれてたりして、本当に見習いたいところがいっぱいだったけどさ。」

路夫「今度は陽君じゃ見習うどころか、絶対にまねしたくない見本みたいなものだもの。」

論子「それじゃ、よい所は曽根君を参考にして、陽君はまねしちゃいけない参考にしたらいいんじゃないの?」

論子「これから上の学年に進むと、いろんな人と出会うことになるでしょう?その時に『この人はきらい』ってさけてばかりもいられないでしょ。良い人は良いお手本の先生、悪い人は悪いお手本の先生と思えばいいのよ。」

友則「そんなふうに思えればいいんだけど」

論子「でも、次の学期にはまた席替えがあるんでしょ?三ヶ月いい勉強になるんじゃない。」

路夫「もう!まったくお母さんは楽天的なんだから。」

さてこんな時、論語では何て言うでしょうか。

 

『三人行えば必ず我が師有り』

 

《伊與田先生 訳》

三人が行動を共にしたら、必ず自分の先生になる者がいるものだ

《解説》

 学校やクラブ活動など、何人もの人で行動する時に、『この人はすごいな』『こんな風に上手になりたいな』と思ったら、その人の日ごろの行いや、態度を参考にして、同じようにしてみると良いですね。

逆に『あんな事したらダメだ』と思う行動をみたら、『自分はどうだろう』と考えてみましょう。

良い事を見ても、悪い事を見ても、自分の参考になるものです。

良いことをお手本に、悪いことは、そうならないように、自分を見つめ直すきっかけにすればよいのです。