夜のリビング、論子さんと子ども達は将来の夢について語りあっています。三人にはそれぞれなりたいものがあるようなのですが。
論子「ねえみんな、大きくなったら何になりたいと思っている?」
仁実「ケーキ屋さん!」
論子「あら、いいわね。どうして?」
仁実「だって、家の人はみーんなケーキが好きでしょ。だから私がケーキ屋さんになったらたくさん食べられる。」
論子「まぁ。ありがとう。楽しみだわ。」
路夫「僕は、まだわからない。いろいろなりたいものが多すぎちゃって。サッカー選手でしょ。ラグビーもかっこいいし。」
論子「学はどうなの?」
学 「僕は、もう進路を決めなくてはいけない年になっているから、仁実のように簡単には言えないけど。」
路夫「お兄ちゃんは頭がいいから、何にでもなれるよ!お医者さんだって、もしかしたら大臣にだってさ!」
路夫「そしたら、有名人になってお金持ちになって。いいなぁ。」
学 「確かにお医者さんになるっていう道もあると思うけど。」
「僕の思っていることは、折角勉強するのだから、高い理想を持って勉強したいということなんだ。」
論子「高い理想?」
学 「うん。人の役に立つ仕事や研究をしたいと思っているんだ。」
「そのためには今は何でも勉強することが大切だと思ってる。」
路夫「そうかぁ。お兄ちゃんでさえまだ目標が決まっていないんだもの。僕が決まって無くても当然だよね。」
論子「同じ決まっていないでも、何か違う気がするけどね。」
さてこんな時、論語では何ていうでしようか。
『女、君子の儒と為れ、小人の儒と為る無かれ』
雍也第六 (仮名論語)七十二頁
《解説》
みんなは将来何になりたいですか。学校でいろいろな勉強をするのは何のためでしょう。
大人になってどんな仕事をしたいと思っていますか。
世の中にはさまざまな仕事があって、そのどれ一つにも高い、低いはありません。みんな同じ価値があるんだよ。
お百姓さんが、お米を作ることと、お医者さんが、病気を治すことは、種類が違うだけでどちらも大切な仕事です。
仕事のやり方で、一つ違うとすれば、それは『思いやり』が有るか無いかです。
美味しいお米を作って人に喜んでもらいたい、病気で苦しんでいる人を助けたい、など、高い理想を持って働く事はすばらしいことです。
ですが、有名になりたい、お金持ちになりたい、人よりえらくなりたいなどのために勉強をして、人をおしのけてそれを手に入れても、満足している期間はそう長くないものです。
思いやりの心があって始めて、学習したことが本当に役に立つのです。目先の利益ではなく、高い志を持って勉強することが大切です。