曜日の昼下がり、路夫君がいらいらしながら何かしています。もうほとんど泣きそうな感じ。思わず論子さんが声をかけました。
論子「路夫どうしたの?何を泣いてるの?」
路夫「だってこの問題がどうしても解らないんだよ」
論子「あら、それならお父さんかお兄ちゃんに教えてもらえばいいじゃない」
路夫「だめだよ。お父さんもお兄ちゃんも自分で考えなさいって言うだけなんだもの。」
論子「そう。どうしてなのかしらね。」
貢 「どうだい?路夫。どこまで解けた?」
路夫「お父さん、全然わかんないよ。ちょっと教えてくれれば済むことなのに。」
「これじゃ午後から友君たちとサッカーする約束に間に合わないよ。」
論子「どうして教えてやらないの?そうすればすぐ済む事なんでしょう?」
貢 「そこが問題なんだよ。路夫はお兄ちゃんがいるから、解らない事は何でもすぐ聞いて、簡単に答えを出してしまうだろう。」
貢 「勉強というのは答えを出す事だけではなくて、問題を考える過程がとっても大切なんだ。」
貢 「なんでも簡単に教えていては路夫のためにならないからね。」
論子「そう言う事だったの。」
「確かに、簡単に解かってしまった事って後で覚えていないものね。」
貢 「路夫、どこまで考えたかお父さんに話してごらん。」
路夫「ここと、ここと、ここんとこは解ったんだけと、後がどうしても解けないんだ・・・」
貢 「そうか。よく頑張ったじゃないか。後はこうすれば、ほら答えが出ただろう。」
路夫「本当だ!なんだそうか。解った!」
「お父さん、ぼくこの問題完全に解ったよ。あとちょっとの所まで考えていたから、もう大丈夫!!」
論子「あら、じゃあ今度のテストきっと満点ね。」
貢 「だから、そういう事ではなくて・・」
さて、こんな時論語では何ていうでしょうか。
『憤せずんば啓せず。?せずんば發せず』
述而第七―八 仮名論語82P
自分で理解に苦しみ歯がみをする程にならなければ、解決の糸口をつけてやらない。言おうとして言えず口をゆがめる程でなければ、その手引きをしてやらない。
《解説》
何か解らない事が有った時。君はどうしていますか?すぐに人に聞いたり、パソコンで調べたりしていませんか。簡単に答えが出てくるものね。楽ちんだよね。
漢字が解らない時、辞書を引いてみましょう。探している字の仲間がたくさんのっていて、新しい発見があり、より知識が深まります。
サッカーが上手になりたいからと、動画でやり方を観ても、実際にやってみないと、どうすればいいのかわからないでしょう?
教える人だって自分でやってみて、『ここができない』という所を聞かれた方がしっかり教える事ができるよね。
始めから全部人に頼っていたら、自分の能力は全然伸びません。頑張って考えて知るからこそできた時はすごくうれしい。
教える人も頑張りの見える子には一生懸命教えたいって思っているものですよ。