学校から路夫君が帰ってため息をついています。

路夫「ただいまぁ。・・・あーあ。」

論子「おかえりなさい。どうしたの?ため息なんかついて」

路夫「今日さ、市の運動会に出場する選手の発表があったんだけどね。僕選ばれなかったんだ。」

論子「そう、」「それは残念だったわね。」

論子「それで誰が選手になったの?」

路夫「陽君。決まってるだろ」

論子「どうして陽君に決まってるって言うの?」

路夫「だって、陽君は体だって大きいし、走るのだってすごーく速いんだ。」

路夫「それに陽君のお父さんは昔陸上の選手だったんだって。最初からできが違うんだよ。」

論子「あら、そうかしら。」

論子「路夫と陽君は生まれたとき同じ病院だったのよ。」

論子「たしか陽君は小さく生れて保育器の中にしばらく入っていたはずよ。」

路夫「そうなの?僕は?」

論子「あなたは逆に大きかった。」

論子「そう言えばこの間、朝早くお父さんを駅まで車で送っていく時ね、陽君と陽君のお父さんを見かけたわ」

論子「おはようって声をかけて聞いてみたら毎朝走っているんですって」

路夫「ふーん。そんな事してるんだ。」

論子「陽君のご両親、陽君が大きく元気に育つようにいろいろな事をしてらっしゃるのね。」

論子「生まれた時はどっちも同じ赤ちゃんだったけど、陽君頑張ってたのよ。」

論子「路夫、あなたも明日の朝から走る事にしたら?来年は選手になれると思うわよ。だって大きく生まれたんだから。」

路夫「うーん。ちょっと考えとく事にするよ。」

 

さて、こんな時、論語ではなんていうでしょうか。

性、相近きなり、習、相遠きなり。

仮名論語 262P

伊與田先生 訳  

 人の生まれつきは大体同じようなものであるが、習慣や学習によって大きく隔たるものだ。

 

解説

 お友だちと自分を比かくして、負けてるとか、これは僕の方がうまい。とか思ったり

しませんか?その時に「だってしょうがないよ。○○君の家はもともと頭がいいんだもの」とか考えて、自分の責任じゃないと思おうとしていませんか?人は生まれてくる時は皆な小さな赤ちゃんで生まれてくるよね。

 その後めいめいの家族の所で育つわけだけど、その時の環境などが違って個性が出てくる。でもそれは個性で、能力の差ではありません。

『できる、できない』はその後の頑張りで違てくるだけです。

僕のほうが上手いと思ったことは、他の子より頑張ってる事ではありませんか?

逆に負けていると思うことは相手の方がずっと頑張っていませんか。

 「だって」というのは負けましたと言っていることと同じです。それはまず、自分に負けていること。本当に力の限り頑張ってそれでも駄目なら、負けおしみは言わないものです。君の頑張りは周りの皆が知っていますよ。