日曜日の昼下がり、路夫君がお父さんの貢さんと話しをしています。学校でしているボランティアの話のようですが。
路夫「お父さん、今飲んでいるペットボトルのお茶、飲み終わったらキャップを僕にちょうだい。」
貢 「キャップ?どうするんだい?学校で工作にでも使うのかい?」
路夫「違うよ。ペットボトルのキャップを集めたら、困っている国の子供のワクチンになるんだって。」
貢 「そうか、でも相当たくさん集めないと駄目だろう?」
路夫「全校で集めてるから、かなり集ってるよ。でもまだまだ足りないんだ。」
「でもね、たくさん持って来るために、わざわざペットボトルを買ったりしたらいけないんだ。僕はいつも水筒を持ってるから、なかなか集められなくてさ。」
貢 「そうか。確かにボランティアというのは無理せずに続ける事が大切だからな。」
路夫「でもさ、こんなことが本当に役に立つのかな。」
貢 「路夫はどう思ってやってるんだい?」
路夫「この間学校で発展途上国の子供たちのビデオを見てさ、僕でも何か出来ないかって心から思ったんだ。」
「だけど、僕はまだ子どもだから、お金を寄付したりできないでしょう?」
「だから少しでも助けてあげられることがあったらやりたいと思って。」
貢 「路夫、助けたいと思った事が、一番よい事なんだよ。たくさんのお金を一度に寄付する事はそれはそれでいいかも知れないけど、たくさんの人がみんなで助けたいと思うことが最後は力になると思うよ。」
「路夫たちは今みんなで助けたいという気持ちを持った。それが一歩進んで始めたことなんだ。」
路夫「一歩進んだ?」
貢 「そうだよ。」
「どんな事でもやろうと思っただけではだめなんだ。やろうと思ったら始める。一つ一つは小さい事だけど、それを続けて行くことでかならず成果があがるものだよ。」
「そんな事ならお父さんも協力するよ。スーパーでペット飲料買って来よう。」
路夫「だから、それはだめなんだってば。」
さてこんな時、論語では何ていうでしょうか
譬えば地を平かにするが如し。一簣を覆すと雖も、進むは吾が往くなり。
「子罕第九」
解説
何かをやらなきゃと思っていてもなかなか思い切りがつかなくて始められない事がないですか。途中であきらめず、『最後まで出来るか』とか、目標が高く、大きいほど考えでしまうよね。
でも、『やる』と決めて思いきって始めたらそれはまぎれもなく君が一歩前進したことです。
少しの成果しか出ていないように感じても、一歩一歩進んでいくとゴールは必ずやってきます。
「まず、始める」その決断が大切なのです。