論子さんの家のリビング、論子さんがお祖母さんの『里子』さんと話しをしています。そこへ路夫君がやって来ました。
里子「論子さん。悪いけど、この間お願いされた署名、やっぱりしないことにしたいんだけど。」
論子「そうですか・・・。わかりました。」
里子「ごめんなさいね。あなたの立場もわかるのだけど、簡単に同意はしたくないの。あなたは、自分の意見で好きにしていいのよ。」
路夫「何の署名なの?」
論子「お母さんのお友達の知り合いでちょっとした社会活動をしている人がいてね。それに賛同するかどうかの署名なの。」
路夫「へぇ。めずらしいね。お祖母ちゃんがたのみ事断わるところなんて始めてみたよ。」
「署名なんてチョチヨっと書くだけでしょ。どうして書いてあげないのかなぁ?」
論子「そうね。お祖母ちゃんはいつも温厚で優しくてどんな人とも仲よくしてるわね。」
「だけど路夫、お祖母ちゃんはこれは違うと思った時には決して軽々しく賛成はしてくれないのよ。」
論子「確かにこの主張にはちょっと無理があるもの、署名してくれなくて当然だわ。」
路夫「お母さんはどうするの?」
論子「そうね。仲の良い友達の頼みだし、断ると後がちょっとやりににくなるからね。名前位はいいかなと思ったんだけど。」
「私も考えてみるわ。たとえ友達の頼みでも自分の本心と違う事をするのは、やっぱりイヤだもの。」
さてこんな時、論語ではなんて言うでしょうか。
君子は和して同ぜず
(仮名論語P196 子路第十三)
《解説》
仲よしの人と話しをしていたり、いっしょに行動していたりした時に『ちょっと意見がちがうな』と思ったことはありませんか。
世の中にはたくさんの人がいるのだから、何もかも同じ考えや意見だということはあんまりないよね。
だって兄弟でも考えている事がちがったりするでしょ。例えば見たいテレビの番組とか、
晩御飯のおかずとか。その時にいちいち自分の主張を通していたらいつも『けんか』ばっかりになっていやな思いでいなきゃならなくなります。
そんな時、心の勉強のできている人は、そんな小さな事は気にせず、上手にどんな人とでも仲よくする事ができます。
でも、正しい行いで無いと判断した事には簡単に賛成したり、調子を合わせることはありません。
適当な返事ばかりしていると、人から信頼されなくなってしまいますよ。