玄関で大きな音がしています。路夫君が帰って来たようですが。
真一「お帰り路夫。あんなに乱暴にドアを閉めるなんて。どうしたんだい?」
路夫「ただいま。だってお祖父ちゃん。聞いてよ。僕、悔しくてさぁ」
真一「何がだい?」
路夫「今日さ、学校にお母さんが来ていてね。PTAの活動か何かでお花を活けてたんだよ。」
真一「そういえば何か教養教室とか言って出かけたよ。その事かい?」
路夫「そう!それが『いけばな教室』でさ、クラスの子のお母さんが先生役でみんなに教えてるんだけどさ。」
真一「それがとうしてあんなに怒ることになるんだい?」
路夫「だってさ。お母さんて『いけばな』の先生のお免状持っているんでしょう?」
「それなのにさ先生役のお母さんの言う 事をいちいち『はい。はい。』って聞いててさ。僕悔しくなってきてさ。」
「本当は僕のお母さんの方がすごいんだぞって思ってさ。」
真一「ほぉ、お母さんはやっぱりえらいね。」
路夫「どうしてだよぉ」
真一「路夫は知らないだろうけど、『いけばな』にはいろいろな流派というのがあって、それぞれ違うやり方があるんだよ。」
「それにもし同じ流派の人が先生でも、今回はお母さんは生徒の役で参加しているんだからその人が自分が知ってるからという態度だと先生役の人に失礼だろう?」
路夫「そうか。そうだよね。僕でも友だちと話してる時に『それ、知ってる』とか言われて勝手にされるとイヤな気分になるもの。」
真一「人は何でも自分が知っていると態度に出てしまうものだけど、でも場所によってルールややり方が違う場合があるものだよ。まずそれに従うことが『礼ぎ』なんだよ。」
路夫「でもさ、お祖父ちゃん」
真一「何だい?」
路夫「お母さんのが一番上手だった。みんなもそう言ってたよ。」
真一「そうかい。良かったじゃないか。」
さて、こんな時論語では何ていうで
しょうか?
子、大廟に入りて事ごとに問う。
(略)曰わく、是れ禮なり
(八佾第三 仮名論語 三〇頁 )
【解説】
何かをする時に自分が知っている事だと「それ、知ってる」と言って自分のやり方でかってにやったり、分った気になって途中でいい加減に説明を聞いたりした事はありませんか。小さな日本の国でもそれぞれの地方には同ように見えてもそれぞれ異なったしきたりや決まり事があり、自分が普通に行っていることでも、違う場所では失礼にあたったり、間違ったやり方だったりすることがあるものです。ほら、方言で「えー、そんな意味なの?」と思った事あるでしょ?
新しい場所や違う仲間と行動する時は、まず相手の話をよく聞いて確認しながら行う事が大切です。
何よりでしゃばって『知ってる、知ってる』と言ってしまったら、教えてくれている人に失礼なばかりか、正しい知識を学ぶ機会も無くしてしまいます。