リビングのソファで路夫君とおじいさんの真一さんが話しをしています。
路夫「おじいちゃん『くもの糸』のお話しってる?」
真一「芥川龍之介のくもの糸のことかい?」
路夫「そう、それ。どんなお話なの?」
真一「お釈迦様が、天国から見て地獄に落ちた人をクモの糸をたらして助けてあげようとするお話だよ」
路夫「くわしく教えてよ」
真一「確かお兄ちゃんの本棚にこのお話の本があるよ。自分で読んでみたらどうだい?」
路夫「それができないから聞いてるんだよ。」
真一「どうして?」
路夫「時間が無いんだ。先週の木曜日に感想文を書く宿題が出てたんだけど、日曜日に遊んじゃってさぁ。読んでるひまが無くなっちゃったんだ。だからあら筋とおじいちゃんがどう思ったかきいて、ちょちょっと…。」
真一「それは国語の宿題かい?」
路夫「ちがう特別学習で、心の学びなんだって。」
真一「だったら先生はきっと本を読んでどう思ったが大切なことだと考えての事だろう?」
路夫「でもさ、宿題なんだよ。やっていかなければこまるんだよ。」
真一「路夫、物事は早くこなして、その時だけを考えてすると、大切なものを見落としたり、肝心なことができなかったりするものだよ。宿題が一日遅れても、先生に話して、しっかり自分で考えることのほうがずっと大切だと思うがね」
路夫「そうかぁ・・・わかった。じゃあ今から読んでみるよ。」
さて、こんな時論語ではなんていうでしょうか。
『速やかならんと欲すれば則ち達せず』
子路第十三 十七
解説
みんなは何かをする時『それは何のためにするか』を考えてしていますか。
全ての行いには意味があり、ただその時だけ上手にできたり、早くできたりする事には最終的にあんまり意味がありません。
だけど早く結果が出て、ほめられたり、ちょっと得をしたりするといい気分だよね。でも、もはん解答を覚えたり、要領よく答えを出すことが出来ても、本当にわかっていなければ力にはならないものです。
その時にどんなに格好良くても、それはその時だけ。いい成績でいい大学に入っても、何のために勉強したり、頑張ったりしたのかが分っていない人は、結局なんの成果も残せない人になってしまいます。
他の人がどんなに早くできても、あせって目先の速さにまどわされないようにしましょう。