論子さんは久しぶりに学校時代の仲間と食事に出かける事になりました。楽しみにしていたはずなのになぜか気が重そうです。
貢 「どうしたんだい?今日は久しぶりに友達と会うんじゃなかったのかい?」
論子「そうなんだけど。ちょっと気乗りがしなくってね。」
貢 「どうしてだい?楽しみにしてたじゃないか」
論子「実は参加したいって人が何人か増えてね。その中にちょっと苦手な人がいるのよ。」
貢 「めずらしいね。君が人に対して好き嫌いをいうなんて。」
論子「別に嫌いって訳じゃないんだけど。」
「その人、昔からおしゃべりが上手でね。何かその気にさせられちゃうと言うか、ともかくうまいのよ。」
貢 「いいじゃないか、しゃべりたい人にしゃべらせとけば。大した害もないんだろう?」
論子「まあ、そうなんだけど。前の時も『みんなと居る時が一番楽しいわ。この会が私の生きがいよ』とか言ってたのに、当日の朝ドタキャンしてきたし。」
「この間なんか仲間の一人のご主人が自分のご主人の取引先の人だって判ったとたんべったりでね。まぁベタ褒めなの。服から靴からスタイルまで。」
論子「それに、色々なサークルに入っていたからあちこち顔を出しては同じことをやってるみたいなのよ。」
「せっかくの会なのにあの人が来ると白けちゃう。」
貢 「あはは。居るなそんなタイプの人」
論子「それで、自分に必要無いとなるとすーっと離れちゃったりするから。」
貢 「別にいいじゃないか。そんな人の事は。君だけじゃなくて皆んなわかってるんじゃないかい?気付いて無いのは案外本人だけだったりしてさ。」
「人間の本心っていうのは、自然と行動に出るものだよ。そんな人は本当の思いやりの心が無いんだろうな。」
論子「そうね。でも勿体無いわね。彼女結構成績は良かったのよ。」
貢 「心は点数では計れないからね。」
論子「ほかの友達には会いたいから、気をとり直していって来るわ。」
貢 「それがいいよ。それに、そのスーツとっても良く似合っているよ。」
論子「ありがとう。お世辞でもうれしいわ。」
さて、こんな時論語では何ていうでしょうか
『巧言令色鮮なし仁』
學而第一(仮名論語二頁)
《伊與田先生訳》
ことさらに言葉を飾り、顔色をよくする者は、人の心が乏しいものである。
《解説》
童話の中に『こうもり』の物語があるのを聞いた事がありませんか。
ある時、獣族と鳥族がけんかになり、森の中で戦いがおこりました。その時『こうもり』は獣が勝っている時には獣の所へ行って「私は獣の仲間です。なぜって、ほら体に毛が生えているでしょう」と言い、鳥族が勝っているときには鳥の所へ行き「私は鳥の仲間です。なぜって、ほら空を飛べるでしょう」と言いました。やがて獣族と鳥族は戦いに疲れて仲直りすることになりました。その時、『こうもり』があっちこっちで上手く言っていた事がわかって、もうどの仲間の所へも行けなくなってしまいました。だから『こうもり』は洞窟に隠れて、みんなが寝た夜暗くなってからしか出れなくなってしまったって話。
自分の利益(得をすること)ばかり考えて行動していると本当の友達はできません。
真心というものは言葉や行動に現れるもの。
いつもうれしい事ばかり言って、ごきげんをとって来る人は、その時は好くても君の本当の友達にはならない人だと思いましょう。