路夫君は兄妹三人とお父さんの貢さんとで市の開催するマラソン大会に出ています。路夫君は初めから元気満々、グングン早く走って行きます。ところがゴール間近になって・・
路夫「お父さん、僕もうだめだよ。もう走れない。」
貢 「もうあとちょっとで小学生高学年のゴール地点につくよ。頑張れ」
路夫「でも、本当にもう走れないんだ。」
貢 「みんなで毎朝一生懸命練習したじゃないか。あとどれだけもないぞ」
路夫「もう、いい。やめる。」
貢 「歩いてもいいからゴールしよう。」
路夫「そんな格好悪い事いやだよ。」「友達もみんな参加してるんだし。歩くなんて恥ずかしいよ。」
貢 「わかった。じゃあゴール地点で待っていなさい。お父さんは走ってくるから。」
路夫君がゴール地点でみんなの到着を待っていると、友達の友君が首にメダルを掛けてやって来ました。
路夫「友君、完走したの?」
友則「うん。僕、走るの苦手だけど、ともかくゴールしようと思って一番最後位だったけど完走したんだ。」
お父さんがお兄ちゃん、妹と一緒にやって来ました。みんな自分の目標地点まで到着して首にメダルを掛けています。
路夫「お父さん、友君もメダルもらったんだよ。僕より走るのが遅くてずーっと後ろの方にいたのにさ。」
貢 「そうか、あんなに運動が苦手の友君ががんばったね。偉いね。」
路夫「何だか変な感じだな。これじゃ僕の方が運動出来ない子みたいに見られちゃうよ。」
貢 「路夫は何が変だと思うのかい?」
路夫「それはさ・・・・・・・・・・」
「僕、お父さんが言ったように歩いても最後まで走ればよかった。これじゃ始めから参加しないのと同じだもの。」
貢 「そうだね。何事も最後までやりとげてこそ出来たってことなんだよ。途中の記録がどんなに良くても、ゴールしないと毎日の練習も頑張りも水の泡になってしまう。」
路夫「わかった。僕来年こそ完走する!」
貢 「よし、来年こそ家族みんなで完走だ!お母さんを除いてだけど・・ね。」
さて、こんな時、論語ではなんて言うでしょうか。
「未だ一簣を成さずして、止むは吾が止なり」
〈伊與田先生訳〉
もういっこで完成するのに止めるのは自分の責である。
解説
何かを始めて途中で投げ出してしまったこと、きっとあるでしょう?最後までやりとげるって結構大変だよね。
大きな目標を立てて頑張る事は本当に大変だけど、あんがい小さい目標が出来ていない事も多いような気がしませんか?
それは、「こんな事ぐらい簡単だ」と思っている事です。作りかけのプラモデル、読みかけの本。もの事には始まりと終わりがあって終わりまで行かないと出来たことにはならないんだよ。たとえあと部品を一個つけるだけでも、残りが数ページでもです。
「やる」と決めたことは自分との約束。やれないのは自分との約束をやぶる事。時間がかかっても最後までやりとげましょう。